2019年11月19日

『在る』と言う感覚


先週のつづきで、

中野真作著 「私」という夢から覚めて、わたしを生きる

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読み終わりましたので、少し書いてみようと思います。


この著者は20代前半に一瞥体験をされた方で、それからの人生の内なる探求を綴った本です。

著者の体験を踏まえて、感情の向き合い方や感情を手放し統合していく方法など、今生での解脱を目指している方はもちろん、自分の感情に振り廻されて辛い方などにおすすめできる本です。



少し自分自身の事を書いてみますと、最近、思考が停止できている時間が多くなってきており、思考が停止している時の、”ただ在る”と言う感覚が以前よりも増して感じられるようになってきました。

この”ただ在る”という感覚は、10年位前に瞑想に凝っていた頃『これか!』と感じ取ったものと同じ内なる”意識”そのものです。

それから葦原瑞穂著『黎明』に出会い、その内なる”意識”を”普遍意識”という言葉で詳細に記していて、衝撃を受けた事は今でも忘れません。


この”在る”という感覚が自分の内に存在しているのが当たり前になっていたので、この感覚をつかめている人が自分の周りにはいないという事に気づけていませんでした。

今通っているヨガスクールで、ヨガ哲学のディスカッションの時間に、この”在る”感覚を伝える事がとても難しい。

ヨガ・スートラではこの”在る”にあたるものを”見る者(プルシャ)”と言う表現で記してありますが、頭で考えてどうにかなるものでもないだけに、みんなと共有できない事を残念に感じました。

思考は通常ほとんどの時間働いている事が多く、瞑想などしてみると分かりますが、思考を止める事が難しく感じるはずでして、数秒なら簡単に思考を止める方法があり、息を吸ってから無理のない程度に呼吸を止める、というものです。

試しに家内にやってもらい、その瞬間”在る”と感じられたか尋ねても、感じ取れないみたいでして...。

”無”が”在る” とか ”空(くう)”が”在る” という感覚。
実際なかなか言葉で伝える事は難しいと分かりました。


ちなみに瞑想時、思考について良い悪いの判断せずに、ただ思考を観察していくことは思考を鎮める方法の一つですが、思考を観察しているのは”誰”か?、思考が沈黙しても尚、観察し続けているのは”誰か?と自分に問う事も内なる”意識”に気づくヒントになると言われています。



感情が湧いてきた時、その感情と同化せずに、感情を正面で受け止め、ただただ観察していく、これが感情の浄化(統合)の作業になると著書に記されていまして。

並木良和さんの統合の方法より、自分はこちらの方が向いているみたいで、最近はこの方法で感情を手放す作業をしています。

しかし冷静に感情を観察できる時と、まだまだそうできない時も多くあり、湧き起ってくる感情は自分の内にその感情がある事を教えてくれているので、その感情を正面で受け止め手放す作業を続けていきます。



今週の記事は以上です。

posted by ウーロン at 00:00| Comment(0) | 記事
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